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琵琶湖に沈んだ古代の港町 - 阿曽津千軒を尋ねる

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トレッキング 旅行 滋賀県 西野山 長浜市琵琶湖

奥琵琶湖の東側の湖岸、西野山を散策した。西野山には、余呉川の放水路である西野水道や稜線にある古保利古墳群、琵琶湖岸にある有漏神社(うろじんじゃ)などの史跡が点在している。有漏神社の近くには、かつては阿曽津千軒と呼ばれた大きな集落があったが、現在は湖底遺跡になっている。滋賀県の文化財の石柱があった。

西野山からは、湖側の葛籠尾崎や長浜側の山本山側の田園地帯などの眺望が良い。

ここより南の湖岸沿いには環境省の水鳥センターがあり、そのあたりでは湖からヤナギなどの木が生えていて独特の景観を作っているが、最近はこの浮島について調べていて、名前をオコノ州と言うらしい。このオコノ州には飯開神社(いびらきじんじゃ)と言う神社がかつてあって、 石碑が立てられている

「近江むかし話」(滋賀県福祉協議会、滋賀県老人クラブ連合会)と言う本によると、オコノ州は992年に琵琶湖の洪水で沈んだという伝承があり、その後にまた浮上してきたらしい。また、この992年は前述の阿曽津が湖に沈んだとされる年の一つでもある。

西野山は尾根沿いの散策路が整備されていて、有漏神社のある湖岸に降りる道もある。有漏神社はなぜか50km離れた堅田の漁師が氏子になっているらしく、湖の安全祈願を行っているという。前述の「近江むかし話」によると、阿曽津の強欲な地主が恨みを買って湖に放り込まれたところを堅田漁師が助けたという伝承があって、阿曽津が沈んだ後も堅田漁師が神社をメンテナンスしているとのこと。堅田漁師は中世に琵琶湖の海運と漁労を支配して一大勢力を持っていたらしい。

阿曽津千軒があったとされる場所は緩やかな湾になっていて、湿地になっている。祠や井戸の後が残っていた。

距離
7.60 km
タイム
2 時間 41 分
獲得標高
396m